モスクワ 五輪 ボイコット。 1984年ロス五輪のボイコット:ロシアチーム五輪不参加の最初のケース

モスクワ=オリンピック

1980年 - JOC総会の投票(29対13)でボイコットが最終的に決定された(なお、この採決は挙手によるもので、(当時)も出席しており、各競技団体の代表者には、参加に投票した場合には予算を分配しないなどの圧力がかけられていた)。 しかし、この13対7という比率は僕ら社会人の野手にとって頭痛の種となったのです。 「政府としてはモスクワ五輪への参加を見合わせてほしい。

もっと

JOC山下会長が語ったモスクワ五輪「私が一番恵まれていた」|【西日本スポーツ】

(、陸上競技男子、)• 日本も最終的にモスクワ五輪不参加となったことは、記憶に新しいところです。 あのとき政府方針に同調した河野や柴田にしても選手たちをオリンピックに行かせたくなかったわけではない。 - その後、ロサンゼルス、ソウルと2大会連続出場を果たしたものの、ソウルで9位にとどまる。 これに14の社会主義国が続いた。 現役引退後は政界に進出。 13人がメダルを手にした。 だから政府の方針に抗うことができなかった(事実、不参加を決定した理事会では文部次官から「今後の補助金カット」を匂わせる発言もあった)。

もっと

モスクワ五輪不参加でレスリング、柔道、体操のその後に明暗

1980年のNHK紅白歌合戦で西城秀樹は「サンタマリアの祈り」ではなく「俺たちの時代」を歌っていた。 2000年の開催地は北京になっていたかもしれない。 <1984ロスの感激 連続出場は50人> JOCの「モスクワ五輪代表」148選手のうち、次の84年ロサンゼルス五輪に出場したのは50人だけ。 「国民性の違い」で片づけたくないほど本質的な違いが、彼我の間にはあった。 超満員(5万9626人)だったあの夜とは比べようもない。 マラソン強化の先頭に立ち「(東京では)円谷さん(64年東京五輪銅)以来のメダル獲得を」と話す同氏は「五輪のチャンスは1回だけ。 こうして、JOCが自ら決議したという形で、モスクワ五輪への不参加が決まった。

もっと

モスクワ五輪ボイコット40年 JOCの苦い経験、問われる存在(1/2ページ)

西ドイツ出身のトーマス・バッハIOC会長は76年モントリオール五輪のフェンシング代表フルーレ団体で金メダルを獲得したものの、母国のボイコットにより連覇の夢がついえた。 それが日本とスポーツとオリンピック委員会の立場だったということだ。

もっと

不屈のモスクワ五輪日本代表178人。全リストと驚きのメダリスト数(矢内由美子)

日本はこの呼びかけに追随し、代表として内定していた選手は五輪に参加できなかった。 青天の霹靂 「それはまさに青天の霹靂だった。 その前のモントリオールの大赤字が影響しているという見方もあるのでそうは言い切れない。 でも体操やバレーボールなどでのその後の競技力低下は抑えられていた。 今から40年前、1980年のモスクワ五輪を政府がボイコットし不参加となったことで、当時の五輪代表選手や日本のお家芸と言われた競技の運命も変わらざるを得なかった。

もっと